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和算(わさん)

 

 

鎖国下の江戸時代で日本独自に発達した数学が「和算(わさん)」です。

 

今では信じがたいですが、江戸時代は数学が大ブームで、多くの庶民が数学を楽しんでいました。

 

数学、主に幾何学の問題を書いた算額(さんがく)と呼ばれる絵馬を、神社仏閣に奉納する習慣がありました。

 

その算額の問題を別人が解いてさらに奉納するのです。

 

なにしろ日本中で数学をやっていたので、競技人口が非常に多く、レベルの底上げも激しく、トップの層の実力はきわめて高いものとなっていました。

 

世界的な数学の大発見を、何十年も前に鎖国下の日本人が独自に発見したケースもいくつもあります。

 

世界的なつばぜり合いより、国内でのつばぜり合いのほうがよっぽど激しかったのです。

 

その後、ペリーが来て開国するわけですが、野蛮な未開の国だとナメきって乗り込んできた外人たちが、その辺の庶民が専門家レベルの数学を理解する姿を目の当たりにして、度肝を抜かれたとか。

 

NPO和算(WASAN) 特定非営利活動法人 和算を普及する会


古事記と日本書紀

 

古事記日本書紀のごく簡単な違いだけ説明します。

 

どちらも国家が編纂した正史です。

 

古事記

 

  国内向け神話。

 

  漢文だが万葉仮名が使われている。

 

  中国の人が読んでも分からない。

 

  古事記は、表意文字と表音文字を同時に使っている。

 

  日本列島はどうできたかが綴られている。

 

  神(先祖の意)の子孫のことが欠かれている。

 

 

日本書紀

 

  国外向け。

 

  中国語。


日本語のひらがな表記とカタカナ表記

和歌

 

・ひらがな表記と効果・・・むき出しではなく語感をオブラートで包む効果、やさしさやわかりやすさ

 

  元々は、平安時代に生まれた女性用の文字でした。

 

  漢字を崩したもので、全体にまるみをおびています。

 

  漢字で書くべきところを、わざわざひらがなで表記して、
  物々しさを払拭し優しさを強調する手法があります。

 

  デメリットは長所の裏返しで、鋭い印象が除外されたり、稚拙な印象も出てしまいます。

 

  使い方によっては、ぼやけた印象を与えてしまいます。

 

  ○みんなの党
  △ミンナの党

 

  ひらがなばかりだと、「は」などの助詞や単語の区切りがつかなくて読みづらくなります。

 

  ○今日はとても疲れました。
  ○今日はとてもつかれました。
  ○きょうはとても疲れました
  △きょうはとてもつかれました。

 

  文章に漢字が多いと、堅苦しくなり、難しい印象を与えるため、
  やさしい文章にしたいときは、ひらがなを使うといいです。

 

  つまり、漢字を減らすことです。

 

・カタカナ表記と効果・・・語感の持つ鋭利さ(ネガティブ含む)を強調する効果

 

  カタカナも平安時代に生まれました。

 

  漢文に添える仮名から始まったようで、漢字のつくりやへんなどの一部からできました。

 

  外来語というか外国の言葉や名前も通常カタカナを使います。

 

  カタカナは角張った形であるため、漢字をカタカナで表現することでシャープさが強調されます。

 

  メジャーリーガーの鈴木一郎選手の登録名は「いちろう」でなく、
  カタカナ効果であるシャープさから「イチロー」となっている。

 

  △「政治と金」問題
  ○「政治とカネ」問題

 

  △派遣問題
  ○ハケン問題 (問題の深刻さやネガティブさを強調)

 

  ○キリン
  △麒麟

 

  ○橋下
  ×ハシシタ:陰湿で悪意に満ちている。ある政治家。「はしもと」が正しい読み。(ある週刊誌で使用)

 

 

「きらきら」や「じろじろ」などの擬態語は、やさしさやシャープさなどで、「キラキラ」、「ジロジロ」のように使い分ければいいと思います。

 

日本語には、漢字、ひらがな、カタカナ、絵文字、ローマ字、特殊記号のなども織り交ぜて、しかも、漢字とひらがな以外は、半角と全角で使い分けることができます。

 

 

ちなみに、現代人は読む機会はあっても、ほとんど書かないのが、漢字とカタカナだけの文語体。

 

戦前まで使われていた文章の形式で、戦後、口語体になりました。

 

  「ワレ日常ノ勤務ニ精励ナリシヤ」

 

  読み       : われにちじょうのきんむにせいれいなりしや
  漢字を当てると : 我日常の勤務に精励なりしや
  意味       : 私は日常の仕事に精励だった(精を出して働いていた)のだろうか。

 

これは読みにくいですが、短い表現で意味が通じ、独特のリズムがあって個人的には嫌いじゃないです。


日本のお米の歴史(1)

油山の棚田

 

・日本米の起源

 

  日本米の起源は、中国の福建米(ふっけんまい)であろうとされています。

 

  日本米を肥料をやらずに放っておくと、やや色が赤くなります。

 

  日本の原始米は、おそらく赤米だったと考えられます。

 

  赤米が日本で栽培された時期は、約三千年ほど昔の縄文(じょうもん)時代。

 

  少なくとも、今の福井県で栽培されていたことまではわかっています。

 

・稲の伝来

 

  稲の伝来は、中国の農学者「丁頴(ていえい)」氏の研究によると、
  東南中国から台湾、琉球列島を通って、入ってきたものとされています。

 

  そして日本では、伝来した米の栽培が広まると、豊かになり、文化が高まりました。

 

  ちょうどそのころ大陸の文化や政治が変わることによって、
  はみ出された人と物とが日本にやってきました。

 

  米の生産で余裕のできていた日本は、高度な大陸文化が入ってきても、
  それを受け入れることができ、そして弥生文化が花開いたのです。


日本のお米の歴史(2)

紀元後3世紀には卑弥呼(ひみこ)を女王とする倭国(わこく)、すなわち邪馬台国(やまたいこく)が誕生しています。

 

このころ、稲作栽培の農業社会もほぼ完成されていたと考えられます。

 

日本には、稲作農業が始まった古代から、米を中心とする社会ができました。

 

米栽培を通じての農村共同体や、水の管理から生まれた結(ゆい)という共同体などが、日本の社会の基礎となっています。

 

米は日本人の心の支えとなり、さらに支配する力を持つものにもなっていきました。

 

また、米は1つの種から7本もの穂ができ、7本のそれぞれに270粒の実がつくので、たいへん多くの収穫ができました。

 

このため米を持つものは、富と権力をとても早く持てたのです。

 

それは、米の支配は土地神話の始まりを意味することになのです。

 

 

後には、米の大量生産により、社会的にますます持つ者と持たない者の差が開き、その間の戦いが起きていきました。

 

米の争奮戦は、そのまま日本の歴史となり、農地(領土)の奪い合いをくりかえす時代が続いたのです。

 

このように、米は生活と経済の基本でした。

 

武士が天下を支配できたのは、武士が米の生産者でもあったからです。

 

しかし、江戸時代には商人があらわれ、米相場を決めて日本の経済を支配したのです。

日本のお米の歴史(3)

・農地拡大と品種改良

 

  勢力争いの歴史は、稲の品種改良を進めることになりました。

 

  農地を広げるために、稲栽培を稲に向かない寒い土地に少しでも広げようと、
  奈良朝時代からさかんに東北征伐が繰り返えされました。

 

  そして奈良朝末から平安初期にかけての東北征伐は、
  結果的には稲の品種を改良し、農地を広げたのです。

 

  寒さに強い品種や、いろんな土地の条件にあう品種が開発され、
  足利時代(室町時代)にはすでに70種類もの品種ができていました。

 

・百姓一揆

 

  江戸時代までは、稲の品種改良が進んでいきましたが、
  災害や害虫に対する知恵は不足しており、
  虫送りや鳥追い、風祭り、雨乞い(あまごい)という行事で無事を祈るしか方法はありませんでした。

 

  それゆえに、災害による凶作の年も多く、餓死者もつぎつぎと出たのです。

 

  このため、領主に対して反乱をする百姓一揆が起こるなど、社会的な不安も招きました。

日本のお米の年表(1)

米俵

 

日本のお米の歴史を時系列に簡単にまとめました。

 

・飛鳥

 

  701年 大宝律令(たいほうりつりょう)下での班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)

 

    6年ごとに戸籍を作り6歳以上の男女に口分田(※)を分け与え課税した。

 

    ※民衆へ一律に支給された農地のこと。
      6歳以上の男子には2段(約2400平方メートル)、
      女子にはその3分の2の田を与えた。

 

・奈良

 

  743年 墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)

 

    開墾田(かいこんでん)の私有を認める。

 

    つまり、開墾した個人が田を永久に所有できる。

 

    この結果、土地の国有化が崩れて荘園(税を免れた私的所有地)が広まっていく。

 

・安土桃山

 

  1582年 太閤検地(たいこうけんち)

 

    豊臣秀吉が全国の土地、収穫量、年貢量などを定めて記録(石高制)

 

・江戸

 

  17世紀以降 新田の開発

 

    新田(しんでん)とは、特に江戸時代に新たに開墾された農地(田・畑)のこと。

 

    江戸の人口増加に伴い、江戸幕府や藩は開墾をすすめ、
    新田を増やして米の収穫量の増加をはかった。

 

    人糞や海産物の肥料が使われはじめた。

 

  1669年 ますの統一

 

    江戸幕府は、1升ますの容積を1.804リットルに統一

 

  1730年 堂島米会所開設

 

    米相場(米の先物相場)として開設

 

    相対取引はできず、米会所を通じて、期限日(納会日)前に自由に反対売買ができる。

 

    世界初の商品先物取引の始まり。

 

    米は流通貨幣の役割も果たす。


日本のお米の年表(2)

油山の棚田

 

明治時代以降の日本のお米の歴史

 

・明治

 

  1873年 地租改正(ちそかいせい)

 

    明治政府は、税を米からお金に変えて、地租を地価(土地の租税)の100分の3とした。

 

・大正

 

  1918年 米騒動(こめそうどう)

 

    富山県で、米の値上がりに対しての暴動が起こり、全国に広がった。

 

・昭和

 

  1942年 食糧管理法(しょくりょうかんりほう)

 

    戦争のため食糧不足になり、米などを国家管理にした。

 

    農家は米を差し出し、人びとは配給を受けた。

 

・平成

 

  1995年 食糧法(しょくりょうほう)

 

    米が「自主流通米」中心の流れに変わった。

 

  2001年 新しい品質表示制度

 

    消費者のために米の表示がわかりやすくなった。

 

  2010年 米トレーサビリティ法

 

    取引の記録の作成・保存や産地情報の伝達が義務付けられた。


三方一両損〜納得治国家

三方一両損」という、大岡越前守(おおおかえちぜんのかみ)の見事な裁きの話があります。

 

要約すると、3両入った財布をめぐり、拾った者と落とした者がお金は要らないと譲らずケンカになった。奉行の大岡越前守が1両を出し、併せて4両を半分ずつ分けあい、2両ずつ褒美として与えた。お互い、本来3両懐に入るところを1両損した。奉行所も1両損し、3人の当事者が3両ずつ損したことで、無事解決したという裁きの話。

 

“公金を使う”という法律的な問題はあっても、皆が納得する話で、これが通用するのが日本なのです。

 

正論より納得で動くところがあります。

 

法律が基本、でも国民総意で納得すれば、超法規的に対処できる展開もあり得ます。

 

職場でも上司や先輩の正論は、ときに無視し、納得しなければ動かないということも。

 

納得しないと仕事しない、納得しないと大臣の命令を聞かない元外務次官もいました。

 

日本は縦割り社会とかいますが、納得するかしないかは、時に秩序を優先することもあるのです。

 

欧米の方がよほど縦割りの身分社会です。

 

命令という秩序より納得(納得>秩序)、あるいは、法律より納得(納得>法律)するかしないかが、しばし焦点になります。

 

「法治国家」が徹底されているかというと、納得が優先することもあり、少し怖い気もします。

 

そういう意味で、日本は、「納得治国家」ともいえるのです。

 

ところで、裁判員制度ってどうなのでしょう。

 

ビジネスシーンでも、部下や後輩が、「納得しないから・・・」という会話はほんとに多いですよね。

 

納得しないことに戸惑うリーダーの方も多いですが、原則は秩序優先です。

 

  「納得しなくていいから、私の命令を聞きなさい。」と、最後には言うべきです。

 

公序良俗に反してなく、規約や約束などにも反してなく、正当な理由がある範囲内です。

 

価値観の優先順位で、整理できていない人はいます。

 

以前、道路公団の藤井総裁の解任劇の際の自民党石原元運輸大臣の言葉。

 

  「私を納得させられないということは、
   国民を納得させられないということです」

 

辞任が妥当だったような記憶はありますが、国民の納得云々を持ちだされると、言われた方が不利になる効果はありました。

 

今後、テロに屈する超法規的措置など取ることのないよう祈ります。

判官贔屓(ほうがんびいき)

弁慶と義経

 

判官(ほうがん、はんがん)という官位であった源義経が、兄頼朝にいじめられ、ついには死に追い詰められた義経に対する同情やかわいそうな気持ちを表すことを起源とした言葉です。

 

判官(はんがん)義経を贔屓(ひいき)、つまり引き立てて応援するということです。

 

 

  平治の乱での父義朝の敗死により、鞍馬寺に預けられ育てられる。

 

  平泉の奥州藤原氏による庇護を受ける。

 

  弁慶の五条大橋での出会いでは、女装していたと言われる弱々しさと美少年のイメージ。

 

  「平家に非ずんば人にあらず」のあの平家を滅亡させたヒーロー。

 

  しかし、政治的には無能で、お兄ちゃんの頼朝から疎まれた。

 

  奥州藤原氏を頼ったが、逆に攻められ平泉の衣川館(ころもがわのたち)で自刃。

 

 

現代では、上記のこんなイメージを抱いている人も多く、二度と華々しい舞台に戻ることはなかった哀惜の念を抱くことと思います。

 

現代では、かわいそうな立場の人に対して抱く心情です。

 

 

どんなに悪い奴でも集団で寄ってたかって散々いじめたら、そのうちかわいそうと思うようになる。

 

かつて、社民党議員が不正な事務処理で政界を去る時、自民党のある議員は、「もういいじゃない」とのコメントをしました。

 

徹底的に凝らしめた後は、かわいそうになるし、判官贔屓の世間から逆に責められるのです。

 

このあたりの感覚は、優しさもあるが、深いところで怨霊の祟りを怖れることから来た感覚かなとも思う。

 

 

判官贔屓とは関係ない話ですが、村八分にしても冠婚葬祭にあたる残りの“ニ分”はOK。

 

あるいは、庶民と一緒に汗を流す殿様や代官さまが尊ばれる日本の価値観。

 

秒なバランス感覚があるように思えるのです。

 

一人勝ちや突出した存在を許さない感覚のためか、かわいそうな存在にも焦点を当ててあげる。

 

とにかく弱いものにも味方したくなる感覚が、判官贔屓といったところでしょう。

 

勝負ごとにおいても、一人勝ちを許さなかったり、叩きのめすほどの高得点に対してブレーキを掛ける感覚など、お分かりになると思います。


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